そうしてインターネットでは承認されたいのに、自分の属しているコミュニティの人たちには捕捉されたくない、みたいな本末転倒で逆説的な秘密主義みたいなものが生まれる。インターネットで範囲を制限することなく公開しているのに、自分の身近な人たちには知られたくないというやつ。まったく意味が分からない。
夜、iTunesの聞かなくなったファイルをゴミ箱に入れる作業をしながら考えた。ゴミ箱を共用することはできないのだろうか? レコードなら聴かなくなれば売ることができる。そして誰かの手に渡る。そうやって人から人へと渡り歩くことで、レコードはこの世から完全に消えてなくなってしまうことからまぬがれている。しかし、データファイルは簡単に消えてなくなる。レコ屋で中古盤を探すように誰かが聴かなくなった音楽ファイルを共用のゴミ箱で探し、欲しいものがあれば無料でDLできる。そんなシステムは実現できないのだろうか。
手塚貴晴さんという建築家がいる。一種の天才なのだと思うのだが、5年ほど前、TVで見た光景が忘れられない。
部下の設計者が徹夜で作ってきた建築模型を一目見るなり「これはゴミだね」と言って、ガシャリと壊してしまったのだ。
僕はそのころ駆け出しコンサルタントになったばかりで、部下の人の痛みがよく分かった。
それと同時に、本当にたくさんのことも学んだ。
・モノには価値があるモノとないモノがある
・「頑張ったか」は価値があるかどうかとは無関係
・価値がないと判断したときは、それをオブラートに包んで伝えるべきではない
・価値があるかどうかは、作った本人には判断出来ないことがある
・作ったモノがゴミなだけで、作った人のことまではゴミと言っていない
・「ゴミだね」に傷ついていたら、クリエイティブな仕事はできない
そして、「ゴミだね」への反論は、ゴミではないモノを作ることしか許されないこと。
もう一つ大事なこと。
「ゴミだね」を恐れて指示を待っていると、永遠にゴミしか作れない。
・価値があると信じて自分の頭で考えたモノを作る。
・そして「ゴミだね」と言われる。
・そこでイチイチ立ち止まらずに、また自分の頭で考えて作る。
この繰り返しでしか、プロフェッショナルになれない。
傷ついたことを「ゴミだね」と言った人のせいにしているうちは、決してプロフェッショナルにはなれない。